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有明海からの報告

成田〜佐賀便から見た有明海
百余年の間に寒村に住宅をつくり水道を引き、山を削り谷を埋め鉄道が敷かれた。街ができ港をつくり、最後に人口の島まで造り上げた。 そしてその街は姿を変えた。

国家や民族・文明などは自然に発生するものなら、この町は人の意志によって作られ人間の都合によって終りを迎えた文明、「人工の文明」に思えてならない。ファインダ−の向こうにミニサイズの国や文明の発生から消滅までが見えると思う。

この町は、この国の近代を知るには、格好の材料だった。ところが、この国と日本人は歴史が語りかけるものを受け止め、しぶとき執念深く保ち続ける姿勢など恐ろしいほどない。

炭坑節に出てくる三池炭坑の煙突は今も健在である。ただ、あまりに多くのものが人知れず失われてしまった。
かつて保存をお願いした炭坑社宅はもう残っていない。幾ばくかの建物が保存されようとしている。それだけでも簡単なことではないのだけれど。

だが残念なことに、それは「産業遺産」としての保存。「栄光の歴史」の保存に過ぎない

一つの時代を築いた人間の営み、負の部分も含めたミニサイズの文明。
そしてそれがいつかはかならず滅び行くという『人間と歴史の宿業を丸ごと後世に残すもの』ではない。
ミニサイズの文明の跡はもうほとんど残っていない。


郷土愛が強い人からは「大牟田の悪口を言う」とか「大げさに振りかぶりやがって」という話を聞く。物事には必ず光と陰がある。光の部分だけを取り上げるなら企業のCMと同じ。広告に過ぎない。見る意味なし。

人生のほとんどを過ごした大牟田と荒尾。いろいろな場所に思い出が残る荒尾と大牟田を遠く離れた街から見ている。懐かしいんだけどよそ者目線です。ご了承ください。
2024/08