No Russia

Dailyたまのさんぽみちより

 ロシアのウクライナ侵攻は、長期戦の様相を帯びている。ウクライナの人々のことを思うと、心が痛む。プーチンが行っていることは、人間として、やってはならないことである。
日本のネット空間では、自らの立場をウクライナに重ねて、侵略されることの恐れから、軍備増強、さらには核武装を唱える人々の声が大きくなっているように思われる。

 生物がもっている自分の身を守る本能から、隣人にならず者が存在すれば、用心しなければと思うのは、ある意味、当然のことである。
しかしながら、ならず者に対抗しようとして、自分自身がならず者になってしまうというのは、避けなくてはならないことである。

 今回の侵攻では、ウクライナの人々の苦しみはもちろんのこと、ロシア兵の多くの苦しみも筆舌に尽くしがたいものがある。

 私たちは、侵略されないように用意周到でなくてはならないが、同時に、

 

私たちの国のリーダーが人間としての規範(のり)を守り、侵略しないように目を光らせておかなくてはならない。

 

かつてヒトラーをリーダーとして選んだことのツケがドイツの民衆にブーメランのように返ってきたように、プーチンを独裁者としてのさばらせてきたことのツケがロシアの民衆にのしかかっている。

 

 私たちは、ロシアになってはならない。ウクライナの民衆への日本の人々の共感は、私たちの国がロシアのようであることへの拒絶につながりうる。

 中2の私は、殴られたら反射的に殴り返していて、冷静に大人の対応をしたら収まっていたことを、わざわざ炎上させていた。そもそもこのような人間であったからこそ、拳を振り上げる人間の気持ちもよくわかる。
 それでも、私たちはいつまでも子どもではいられない。どこかで成長しなくてはならないのだ。
 大人になるということは、自分の加害性に気づくことだ。

 

ゼミ研修旅行で学生たちとシンガポールに行った時、第二次世界大戦での日本による侵略と和解の碑の前に立った。 シンガポールまで空路で7時間、その長さを実感している学生たちに、次のように語りかけた。

   『今のような科学技術もない70年前、日本軍は、はるばるこんなに遠くまで進撃して、イギリス軍を打ち破り、シンガポールを支配した。 日本は、世界から見ると、明らかに大国であり、日本人なる人々は、こんなにもパワーをもっていたのだ。 ただ、人々の自己意識は、弱者であり、被害者であり、いつも恐れのなかにあった。

 心の底で自分は弱い、被害者だと思い込んでいる人々の集団であったがゆえに、自分たちが行っていることが侵略であるということを認識することができなかった。

 私たちは、自分たちがもっているパワーを正しく認識し、それをコントロールすることを学ばなくてはならない。
 私たちは十分に強いのだ。』

 あの時、私のことばは、学生たちの心に届いたように思えた。

 

 この4月、新入生たちが大学の門をくぐって、新しく大学生となった。
 今年度の大学生は、すべて成人である。 ただ、成人であるということは、それだけでは大人であることを意味しない。
この社会のなかに、一人でも多く、ほんとうの大人を増やしていきたい。
これが私に課せられた使命である。

そのためにはまず私自身が大人にならなくてはならないというわけである。

 

 夏のような陽気のあとに、季節外れの台風が来て、冬の寒さに逆戻りとのこと。気候もまた大変な世の中だが、何とかまともに生き延びていきたい。

 コロナ禍も続くなか、皆さま、くれぐれもご自愛ください。

 See you next month!

 


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