大牟田を写真でウロウロ1997

 

写真をクリックすると飛び出してきます。

 

白黒フィルムを詰めた古いカメラを持ってあちらこちらウロウロしています。
ネーブルランドに行ってみました。

 


坑内電車が置かれていました。
野ざらしのままでした。

看板です。

定番コースの三池港に行ってみました。
いつもの通り船が着きまし。
他に何もありませんでした。

三池海水浴場も灯台と海苔網と夕陽。いつもの顔ぶれのままでした。

 

 

大牟田の街には何もありません。

 

新栄町に行ってみました

 

西日本鉄道大牟田線の終点は大牟田駅、新栄町は一つ手前の駅です。

 

駅舎が新築移転され、駅前にバスターミナル・デパート・スーパー
・ショッピングセンター・飲食店街・などがつくられ、
2階建ての駅ビルと共に開業したのは昭和45年のことだったそうです。
大牟田に流れ着いた作者は詳しいことを知りません。
デパートのシャッターはアレから開いたことがありません

 

..このビルも壊されてもうない。写真はあるのだが掲載する気になれない。

 

大牟田生まれ大牟田育ちの家族にとって、
日曜日に買い物に行き、食事に行き、デパートの屋上に行った、思い出の場所なのに、
もうないのです。
消えたのです。

 

 

炭鉱閉山より遙か前に、早々とさっさと逃げ出したのは球団問題を抱える全国系スーパーでした

 

商売人はさっさと逃げられるから良かですね(皮肉のつもり)

 

だけど、駅ビル2階の食堂街で営業しているのは1軒だけです。..

 


...その店ももうありません。

 


・・建物そのものが消えてしまいました。その写真も意地でも掲載しません!(キッパリ)

 

あとはご覧のとおりのシャッターに挟まれた通路でしかありません。

今も営業している商店は4〜5軒

 

 

 

 

大牟田・・・ウロウロを続けました・・・・・

 

三池工業高校の前を通り過ぎ、右折して、炭鉱電車の線路跡に沿って南下すると宮原坑が見えてきます。

その先には、炭鉱の社宅が最後まで残った臼井社宅跡が広がります。

真ん中を貫いていた大通りです。両側には銭湯・売店・保育園などがあり、つい最近まで理髪店がポツンと営業していました

一歩入った場所は2000年4月に建物が取り払われ更地になりました。

 

舗装された路地の両側は草が生い茂り立ち入ることはできません。

臼井社宅の南東側に広がっていた野添社宅は消滅した時期はわかりません。かなり以前だったと思われます。

 

 

その一角に、草木が刈り払われかろうじて地面が露出している場所がありました。

 

老婆がひとり立って何かを見つめていました。

 

 

彼女の眼に映っているのは何でしょうか

 

 

無くなるもの、亡くなるもの、失われるもの

悔しいですが今の大牟田にはそんなものが溢れています。

20代で大牟田に来て30代・40代。わたしと家族の日々と一緒にあったものが次々と失われていく。その喪失感は思っていたより堪えます。

 

まだ続きます。また見に来てください。