大牟田・・・徘徊・・野ざるき廻りシリーズ 。

 

アイ アム wondering here and there, from place to place in Omuta and Arao with my old camera.

写真をクリックしてください。

ネーブルランドに行ってみました。
炭坑の坑内電車が置かれていました。
野ざらしのまま放置されていました。



看板です。

 

車を転がして定番コースの三池港に行ってみました。いつもの通り船が着きまし。他に何もありませんでした。

三池海水浴場も灯台と海苔網と夕陽。いつもの顔ぶれのままでした。

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ああ、大牟田の街には何もない。

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新栄町に行ってみました

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通称「西鉄」、西日本鉄道大牟田線の終点は大牟田駅、その一つ手前の駅です。

駅舎が新築移転され、駅前にバスターミナル・デパート・スーパー

・ショッピングセンター・飲食店街・などがつくられ、

2階建ての駅ビルと共に開業したのは昭和45年のことだったそうです。

大牟田に流れ着いたよそ者のわたしは詳細を知りません。

デパートがあったレンガの外壁の建物のシャッターはあれ以来開いたことがありません..このビルも壊されてもうない。写真はあるのだが掲載する気になれない。

 

大牟田生まれ大牟田育ちの我が家族にとって、日曜日に食事に行った思い出の場所なのに、もうないのです。消えたのです。

炭鉱閉山より遙か以前に、早々と逃げ出したのは球団問題を抱える某全国系スーパーでした

商売人はさっさと逃げられるから良かですね(皮肉のつもり)

 

だけど、いま、その駅ビル2階の食堂街は営業しているのは1店舗のみです。.....その店ももうないノダ・・・建物自体消えてしまいました。その写真も意地でも掲載しません!(キッパリ)
あとはご覧のとおりのシャッターに挟まれた通路でしかありません。

今も営業している商店は4〜5軒

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大牟田・・・徘徊を続けました・・・・・

三池工業高校の前を通り過ぎ、右折して、炭鉱電車の線路跡に沿って南下すると宮原坑が見えてきます。

その先には、炭鉱の社宅が最後まで残った臼井社宅跡が広がります。

真ん中を貫いていた大通りから

一歩入った場所は2000年4月に建物が取り払われ更地になりました。
舗装された路地の両側は草が生い茂り立ち入ることはできません。

臼井社宅の南東側に広がっていた野添社宅は消滅した時期はわかりません。かなり以前だったと思われます。

その一角に、草木が刈り払われかろうじて地面が露出している場所がありました。

老婆がひとり立って何かを見つめていました。

彼女の眼に映っているのは何でしょうか

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無くなるもの、亡くなるもの、失われるもの.....悔しいが今の大牟田にはそんなものが溢れています

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新しく生まれるモノは..........................ありましぇ〜ん

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まだ続きます。また見に来てください。


撮したくなるものがないので、半年以上放置していました。
2004年の秋、久しぶりの更新です。
9月は台風がバンバンやってきました。
人から聞いたんですが、台風の時は三池港に船が避難するそうです。
まだ、あんまりうろつきまわるのはできないんですが、用心しながら港まで行ってきました。

いましたよ。普段は釣り人の姿もほとんどなく、タグボートが2隻眠っている三池港の水門で仕切られた部分、
いわゆる「内港」に全部で8隻も避難していました。
まず、地元勢は有明フェリーが3隻。

すでに出港の準備が始まっていた。 

少し離れた場所に泊まっている船を見て驚きました。

 

「久米島」ですよ。沖縄の那覇と久米島を結ぶフェリーですよ。
わざわざ沖縄から避難してきたとは、、、
船員さんに聞いたら、台風の時はほとんど三池港に来るそうです。いやいや驚きました。

久米島フェリーの他には有明海の調査と清掃をする特殊な船も居ました。

 

6隻目は熊本−島原間の高速フェリーです。
非常にスマートな船ですがこの写真では判りにくいので別の写真はちょっと待ってください。

そして、三池港を発着している船が島原鉄道の高速船です。
水門を出て外港に入ったところです。これは、現役を退いた一世代前の船です。それでも十分に速いんですが。
残りの一隻はこの現役船です。これは、もう写真をたくさん出しているので今回は省略します。

今回はまるで船のマニアのような話しでした。

 

ついでに

これは、鹿児島本線の銀水 (大牟田のひとつ博多寄りの駅) と八代間の普通列車です。

ワンマンの電車です。以前の熊本鉄道管理局の範囲です。
南荒尾駅で撮しました。


一眼レフタイプのデジカメが流行していて金が余っていれば買うのですが、
一本598円の現像同時プリント代すら工面してやっと出しているので、
30.5mの長尺巻きの白黒フィルムをパトローネに巻き込んだもので撮影し、
格安の薬品で自家現像してフィルムスキャナーでデジタル化しています。
ですから、画質は最低で、手間と時間ばかりかかります。では。

フィルムを整理していたら当ページお決まりの逆光を捉えた写真が出てきました。

 

暇つぶしに見てください。です。

 

この2枚はILFORDのXPといってカラー現像を行う白黒フィルムです。

 

そんなこととは知らないで買いました。

 

ですから、ちょうどセピア色風に色が付いているでしょう。

 

これをPhotoShopでモノトーン化しても白黒写真が獲られます。が、がですよ、どうも邪道のような気がします。

 

では、まだまだ続きます。

有明海です。有明海といえば、ムツゴロウと干潟が定番ですね。

ですが、そんなもんは他のホームページにごろごろころがっていますのでそっちで見てください。

次は港の大型機械です。

アンローダーというそうです。

ちゃんと「○井」の御紋が入ってますよ。

まるで「控えおろう、この御紋が目に入らぬか」と言っているようでしたが、

すでに、お亡くなりになっているので、拝んでやりました。

では、特大画像でご覧下さい。

おっとIEはモニターの画面サイズに縮小して表示するので小さくしか見えませんね。

 

最近ぶらっと行ってみたら壊されてなくなってましたよ。

石炭火力発電所です。動いていません。

こんなモノの言い方なんで

 

すみませんです

 

今2005年9月

1年ぶり?

たぶんまだ延々と続くやろ。

ヒマなら来てくらはい


あれから3年が過ぎました

今2008年10月

インターネット草創期の個人ホームページ騒動もどうやら終わり

インターネットは完全に商用化されました

ここもしばらく閉めていました。ドメインだけは持ち続けてましたけどね

で、大牟田の話です

新栄町は廃墟になり、松屋デパートの跡は更地なりました

写真は、まだです、もういらないかも...

年が明けて2009年1月 まだまだ失業中なので、写真を撮りにいくのも気が引けてます。新栄町と松屋デパート跡地の写真は撮ったのですが消しました。以前の写真と比べて展示する用意だけはしておきたいのですが、あまりにも虚無的なものばかりなのでシャッターを押す気になれません。

「滅びの美学」というのがある。大河ドラマ「篤姫」もそうではないでしょうか

けれど、この町にそれがありますか?

かけがえのない我が家族と過ごしたこの町が無惨な姿を晒すのは耐えられません。

残念でした(笑)ここから先はもう何もありません

次の更新はたぶん4月よりずっと先になりそうです...2009/1/27

ということで....今日は2010/6/14
公務員に転職して1年が過ぎました。

20216月です 土地を買い家を建て、子供を育てた大牟田を離れて長くなります。

さよなら
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